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塚本智也——映照自然流轉的沉浸式繪畫

西村孝俊(《月刊美術》編輯部)

序言──動態的靜止畫

塚本智也的作品,以鮮明的色彩與光線處理,營造出彷彿液晶螢幕般的強烈效果,將觀者引入一種近乎眩惑的視覺空間。當原色的點狀筆觸逐漸與視網膜相互融合,人物、動物或櫻花等形象隨之如光般浮現,甚至產生它們正在移動的錯覺。這種在靜止的二維畫面中生成時間與空間感的經驗,構成一種「四次元」的沉浸式感受,並迫使我們再次思考:「繪畫究竟是什麼?」

本文的目的,在於追溯塚本如何選擇他欲描繪的主題、如何透過技法予以實現,以及他在創作實踐中所企圖抵達的目標。

然而在進入本論之前,筆者想先記錄自己與塚本作品的初次相遇。那是在「Young Art Taipei 2012」的會場。這個由台北數間畫廊聯合發起,於2009年起帶頭舉辦的酒店型藝術博覽會,自2010年第二屆開始,我年年造訪,並在《月刊美術》進行報導。這場博覽會一直被一股純粹的熱情所籠罩,推動著年輕藝術家被帶入大眾視野,同時也成為新興才能得以浮現的難得舞台。

當時,我懷著對新銳創作者的期待,逐一走訪各個展間。走進神戶川田畫廊的房間時,在工作人員的引領下,我被一件異常鮮明的畫作吸引。與周圍帶有普普風格的作品不同,那幅畫呈現出強烈的抽象感。畫面上,無數十字形的圖樣鋪陳開來,既像綻放的花瓣,也似飄舞的絲帶。它們看似靜止,卻彷彿風車般旋轉,令整個空間隨之顫動。下個瞬間,我察覺這些圖樣竟在我眼前聚合成一個三次元形象,逐步浮現出一個人形輪廓。那是一種強烈而奇異的體驗——原本「不在場」的人物,卻以「光之剪影」之姿顯現在眼前。這種視覺震撼為我帶來強烈的驚喜與快感。(類似的作品例子如《透明なカラダ》,2011,壓克力、畫布,97.0×130.3cm)

自那一刻起,塚本的作品即便在題材上不斷轉換,卻始終持續提供相似的感官體驗。於是我在每一次對作品的注視中,都試圖理解其背後的繪畫語意,並追隨其所欲開展的方向。

(註:2000年代,全球當代藝術市場熱度高漲,中國當代藝術崛起並逐步成為歐美市場的對手。隨著需求的提升,各地藝術博覽會相繼誕生。2004年北京「CIGE」、2006年「ART BEIJING」、2008年香港「art HK」皆獲成功,推動歷史悠久的藝術博覽會進行制度革新。2005年,「Art Fair Tokyo」以「NICAF」為前身開展;2008年,創立於1992年的「Art Taipei」亦透過更鮮明的國際化姿態刷新紀錄。同時,亞洲各地也開始興起「酒店型藝術博覽會」,以客房作為展間,逐漸成為另一種重要的藝術展示形式。)

 

 

創作的原點 ── 木漏日與「色彩的陰影」

塚本智也曾多次提到,他的創作原點可追溯至美大在學期間與木漏日(樹葉縫隙間透下的光影)的相遇。當時,他被葉隙間穿透的柔和光線與其在地面上閃爍不定的影子深深打動,並產生了將這份稍縱即逝的美感留存於畫布的強烈衝動。正如他在《月刊美術》(2025年10月號)的訪談中所言:「那時,我渴望把葉縫間灑落的柔光,以及它在地面上搖曳生成的影子之美,固定於畫面之中。描摹木漏日,並將其飄忽不定的影像定格在畫布上,成為我日後創作的起點。」

木漏日不斷變化,從不重複。為了捕捉這種伴隨著必然律動的自然之美,塚本開始嘗試將枝葉的複雜影子,以紅、綠、黃等單色描繪在白紙上——如2003年的《Shadow on Shadow》便是例證。同年,他亦創作了《影之化石》,嘗試透過階梯狀的立體結構,以藍與白呈現木漏日的閃爍明滅,進一步探索三維性的表現。

在這個階段,他所追求的不再是自然的寫實模仿,而是將「不斷流轉的自然」本身凝結於繪畫之中。那些被描摹下來的光影——即「色之陰影」,逐步轉化為一種帶有時間性與視覺不確定性的繪畫語言,並成為他後續創作的重要基礎。

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描繪技法的確立 ── 三原色點描與「光之剪影」

大約在2010年前後,塚本智也的創作迎來一次重要的轉折。他採納「所有色彩皆可由紅、藍、黃三原色組合生成」的理論,並將色彩使用限定在三原色之內。這種限制反而釋放了更多可能性,透過點與點的重疊,他獲得了細膩而豐富的色階變化。

同時,他開始將形象視為「點之聚集」,逐步確立出獨特的點描方法。點的均勻排列不僅讓畫面更具輕盈感,未被描繪的留白也被賦予與彩色圓點同等的重要性。在這種結構下,「圖」與「地」發生了反轉:色點退居背景,空白反而浮現為形體。換言之,那些「未被描繪的形狀」在色彩粒子的漩渦之中被顯現,這正是塚本所稱的「光之剪影」。從「色之陰影」邁向「光之剪影」,無疑是他繪畫語言中最重要的發現。

在技術層面上,塚本同時將媒材由油彩轉換為壓克力,並導入噴槍,使細緻且均勻的點描成為可能;他亦結合滴流,將偶發性納入畫面,以體現自然不可測的動態。尤其在超過100號的大尺幅作品裡,畫面完全覆蓋觀者的視野,使人如同被吸納其中,形成一種接近沉浸式的體驗。這種以平面繪畫達成的沉浸效果,正是塚本作品的獨特之處。

在其背後,當然可以追溯到美術史的參照:19世紀末秀拉的點描法、20世紀波洛克的滴流技法,以及現代的噴槍技術。然而塚本並非單純模仿,而是根據自身的創作目的重新建構,使之成為一套嶄新的繪畫語言。這種在傳統基礎上的更新,正體現了他作品的獨特性。

筆者當年在藝博會現場所見到的那件帶有立體感的人物作品,正是塚本在技法試煉與確立之間的過渡期之作。

主題的意義 ── 作為自然流轉的依託

在確立了獨特的技法之後,塚本智也開始將具象的主題引入畫面。
自2016年前後的《鹿》系列,他將鹿的身影置於森林的幽暗中,透過光線的浮現凸顯出一種神秘感。2018年前後的《鯉》系列,則描繪鯉魚在水面反射與波紋之間的身姿,傳達出自然流動的律動。至於近年持續發展的《櫻》系列,則以點描堆疊花瓣,將滿開到飄落之間的整個時間過程凝縮於一幅畫布之上。

鹿、鯉與櫻花在日本文化中皆帶有深厚的象徵性:鹿被視為神的使者,鯉象徵奮鬥與堅毅,櫻花則代表無常之美。若從文化脈絡來看,這些主題似乎召喚出一種神聖、靈性或超自然的存在。然而,塚本的繪畫雖然參照了這些文化意涵,卻並不依賴於它們。他更傾向於透過三原色粒子、點描、滴流,甚至近年的模板技法,來讓觀者直接透過視覺與感官體驗「自然的流轉」。在他的畫面中,這些主題僅是依託,真正被描繪的,是自然自身的變化。

繪畫長久以來被定義為在人類有限的視野與畫布空間中再現世界:或作為歷史畫、人物畫、風景畫或靜物畫。然而,自木漏日那份初衷開始,塚本所追求的並非具體實體的再現,而是自然中那種光影閃爍、持續流動卻無法被固定的「運動本身」。他的作品,正是將這種不可見卻可感的能量,轉化為視覺經驗。

 

結語

塚本智也在創作中,持續將色彩理論、美術史脈絡與日本的美學感知交織融合,並於此基礎上開發出獨特的技法。他從木漏日經驗出發,以「色之陰影」為起點,進而透過三原色點描實現圖與地的反轉,孕生出「光之剪影」。隨後,他又結合滴流與模板等技法,使畫面動態感進一步加強。於是,他的作品雖然屬於繪畫,卻往往被感知為近乎影像的「會移動的靜止畫」,擴張了傳統繪畫的框架,開創出屬於他的沉浸式繪畫語彙。

塚本智也——自然の移ろいを映し出すイマーシブ絵画

西村孝俊(《月刊美術》編輯部)

序文 ― 動く静止画

 

塚本智也の作品は、液晶ディスプレイを想起させる鮮烈な色彩と光の演出によって、鑑賞者を眩惑するような視覚空間へと誘う。画面に重ねられた原色の点(ドット)が網膜に馴染むにつれて、人物や動物、桜といったモチーフが光となって浮かび上がり、あたかもそれらが動いているかのような錯覚を引き起こす。静止した二次元的な画面に、時間的・空間的広がりと動きを加えた、いわば四次元的なイマーシブ(没入的)な体験は、わたしたちに「絵画とは何か」という問いを改めて投げかけてくる。


  本稿の目的は、塚本が作品に何を描き、それを実現するためにどのような方法を用い、そして何をめざそうとしているのかを、これまでの制作の流れを追いながら跡づけることである。

 しかしその前に、筆者自身と塚本作品との出合いを記しておきたい。それはホテル型アートフェア「ヤングアート台北2012」の会場でのことだった。2009年に台北のギャラリーが中心となってスタートしたこのフェアを、筆者は第2回の2010年から毎年訪れ、「月刊美術」誌面にてレポートしていた。若い作家を世に送り出そうという純粋な情熱が全体を包み、新しい才能との出合いを予感させる稀有なフェアであった。

 新しい才能との出合いに期待して、各ブースを隈なく歩いていた。神戸の川田画廊の部屋に入り、スタッフに導かれて作品を見ていたとき、ポップアート的な作品群の中でひときわ強い発色を放つ抽象画のような作品が目にとまった。そこには十字型の模様が無数に散在し、リボンのようにも花びらのようにも見えるその模様が画面に敷き詰められていた。それらは静止しているはずなのに、風車のように回転し、空間そのものが揺らめいているかのように感じられた。そして次の瞬間、それら模様が三次元的に集まり、人のフォルムを浮かび上がらせていることに気づいた。不在であるはずの人間が「光のシルエット」として立ち現れる視覚体験に、強烈な驚きと快感を覚えたのである。(同系統の作品に《透明なカラダ》2011年、アクリル、キャンバス 97,0×130,3cm がある)

 この出合い以降、塚本作品はモチーフを変えつつも同様の視覚体験を与え、筆者はその都度そこに描かれた絵画上の意味を理解しようと追いかけることとなった。

(註 2000年代は世界的にコンテンポラリーアートの人気が沸騰し、中国発の現代アートが欧米に対抗しうるマーケットへと成長した時代で、アートの需要の高まりとともに各国にアートフェアが誕生。2004年に北京「CIGE」(中国国際画廊博覧会)、2006年北京「ART BEIJING」、2008年香港「art HK」(香港國際藝術展)が誕生して成功をおさめると、歴史あるフェアも運営体制を刷新。2005年には「NICAF」を前身とする「アートフェア東京」がスタートし、2008年にはアート台北(台北国際芸術博覧会、1992年設立)が国際色を強く打ち出すことで記録を塗り替える成功をおさめた。これに平行して各都市でホテルの客室をブースに見立てて展示するホテルフェアが誕生していた。)

創作の原点は木漏れ日 ― トレースされた「色のシャドウ」

 塚本智也は自身の創作の出発点について、美大在学中に経験した木漏れ日との邂逅を挙げる。

「葉の隙間を通り抜ける柔らかな光と、その揺らぎが地面に落とす影の美しさを、画面に留めたいという情熱が湧いてきました。木漏れ日を絵具でトレースし、揺れ動く影をキャンバスに定着させることが、後の制作へとつながっていきました」(月刊美術2025年10月号インタビュー)

 木漏れ日はつねに変化し、同じ形を二度と示さない。塚本はこの揺らぎと動きを必然的に伴う自然の美を捉えるため、葉や枝の影の複雑な形を赤や緑や黄色の単色で白い紙に写し取る試みを始めた(2003年の《Shadow on Shadow》など)。さらに同2003年の《影の化石》では、階段状の立体に青と白で木漏れ日の明滅を表現し、三次元的な表象にも挑戦している。

 この時点で彼は、自然の写実的な模倣ではなく「変化し続ける自然そのもの」あるいは「自然の移ろい」を絵画に定着させようとしていた。トレースされた影つまり「色のシャドウ」は、絵画的に展開され、視覚の不確かさや時間性を孕んだ表現へと進化していった。

 

描画技法の確立 ― 三原色の点描と「光のシルエット」

 2010年頃、塚本は大きな転換を迎える。彼はあらゆる色が三原色(赤・青・黄)の組み合わせで再現できるという理論を採用し、使用する色を三原色に限定した。この制約はかえって無限の色彩をもたらし、ドットの重なりから微細なグラデーションが生まれた。

 同時に、形態を「点の集積」として捉え、点描的な描法を確立する。点は均等に配置され、画面は軽やかさを増す。同時に、描かれた点に対して、なにも描かれない余白もそれと等価な要素として扱われる。このとき「図」である点と「地」である余白に反転が起こり、白い余白が意味をもった形となって浮き上がる。換言すればネガとポジが反転するように、それまで見ていた色の点が背景に退いて、色の粒子の渦の中から「描かれていない形」が立ち現れる。これこそが『光のシルエット』である。「色のシャドウ」から「光のシルエット」への飛躍こそ、塚本にとってもっとも大きな絵画上の発見であったに違いない。

 さらに塚本は使用する素材も油彩からアクリルへ転換し、エアブラシを導入することで微細で均質な点描を可能にした。さらにドリッピングを併用し、偶発性を画面に取り込むことで、自然の不可測な動きを体現している。とりわけ100号を超える大作では、鑑賞者の視界を画面が覆うことで、この動的な表現に飲み込まれる。床と壁にプラネタリウムのように動画を投影することで没入感を体験させるイマーシブ・アートと呼ばれるアトラクションがあるが、塚本作品は二次元の平面でイマーシブ(没入)体験を引き起こしている。

 こうした技法の背後には、美術史的参照がある。19世紀末のスーラの点描、20世紀のポロックのドリッピング、そして現代のエアブラシ技法。しかし塚本はこれらを模倣するのではなく、自身の表現目的に合わせて再構築した点に独自性がある。彼の絵画は伝統を継承しつつ、自身が求める次の段階へと更新しているのである。

 筆者がフェア会場で驚きとともに見た、浮かび上がるような三次元的な人のフォルムの作品は、塚本が技法を試行錯誤し、確立しつつあったときの過渡期の一枚であった。

モチーフの意味 ― 自然の移ろいを表す拠り所として

 独自技法の確立後、塚本は具体的なモチーフを取り入れていった。

 2016年頃からの《鹿》シリーズは、森の闇の中に光とともに鹿を浮かび上がらせ、神秘性を強調する。2018年頃の《鯉》シリーズでは、水面に反射する光と波紋の中から鯉を描き出し、流動する自然の律動を伝える。近年精力的に展開する《桜》シリーズでは、点描による花弁の集積が、満開から散華までの時間の流れを一枚の画面に凝縮している。

 鹿、鯉、桜はいずれも日本文化において象徴的な意味を帯びている。鹿は神の使い、鯉は出世や強靭さ、桜は無常の美。こうした文化的背景と照らし合わせれば、それぞれのモチーフによって神的存在、霊的存在、超自然的存在を顕現させているかのようでもある。しかし塚本の絵画はこうした文化的背景を踏まえながらも、それに依存しない。むしろ彼は三原色の粒子、点描、ドリッピング、そして近年のステンシルを駆使し、視覚的・感覚的体験を通じて「自然の移ろい」を顕現させているのである。モチーフはあくまで拠り所にすぎず、真に描かれているのは「自然の移ろい」である。

 絵画とは、人間の視界に広がるあらゆるものを限られた面積の平面上に再現することである。それがモチーフによって歴史画として、人物画として、風景画として、静物画として描かれ、鑑賞される。しかし塚本が木漏れ日の感動以来描こうとしたのは、そうした特定の実体あるモチーフではない。そうではなく、木漏れ日が光と影が明滅する絶え間ない変化としてしか体験できないように、目には見えないけれども感じられる、自然の運動そのものなのである。

結び

 塚本智也は、色彩理論、美術史的知見、日本的美意識を融合させながら、独自の技法を開発し続けてきた。木漏れ日の「色のシャドウ」から出発し、三原色の点描によって図と地を反転させて「光のシルエット」を生み出し、さらにドリッピングやステンシルによって動きを加速させた。その作品は、絵画でありながら動画のように感じられる「動く静止画」として、従来の絵画の枠組みを拡張するイマーシブ絵画である。

 視覚を通して自然の変化や生命の循環を体感させる彼の作品は、未来の美術の新たな可能性を切り開いている。塚本智也の探究は、過去と未来を架橋する現代アートの重要な実践であり、その展開は今後ますます注目されるだろう。

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